岩手 バックナンバー

盛岡市材木町商店街振興組合
理事長
宮沼 孝輔
組合員数
76名
出資金
74,732,000円
住所
盛岡市材木町7-42
電話
019−623−3845
FAX
019−623−6869

◆材木町商店街〜 400年の歴史 〜
 季節を彩る盛岡名物「よ市」を中心に、地元の人々や数多くの観光客を集める「材木町商店街」。新聞・テレビなどのマスコミや組合の活性化事例として採り上げられることが多い、盛岡を代表する商店街のひとつである。この商店街の歴史は古く、そのルーツは南部藩時代にまで遡る。南部氏による盛岡築城が開始された文禄元年(1542年)頃から、木場の材木商を中心とする商人町が形成され、北方の農村を相手とする商業地区として活況を呈し、豪商が軒を連ねるようになった。明治後期から大正期にかけて、郊外に工兵隊と騎兵旅団が設置されると、さらに商業地区としての繁栄を深め、市内有数の北大通り商店街として発展した。
 それまで隆盛を極めていた北大通り商店街ではあるが、戦後になって、繁華街に隣接し、大型店の出店する「大通り」や「肴町」に新しく商店街が形成されると、その地位はしだいに低下していくこととなった。また、歩道も無く狭い道路であったことが、交通環境の変化と車社会の急速な進展への対応を遅らせ、商店街としての地盤沈下を招いた一因でもあった。
 そのような状況下、昭和41年に、それまで共同売出しで連合していた材木町商栄会と茅町振興会が、合同して現在の「盛岡市材木町商店街振興組合」を設立、盛岡市で第1号の振興組合として、商店街の再開発と活性化に向けての狼煙を上げた。

◆商店街の再生、そして復興へ
 組合の当初の目的は、歩行者の安全と車社会に対応するため、道路拡幅による歩道整備と共同駐車場を設置することであったが、事態が思うように進展せず、また、市内を走る交通網の変化により、中心商店街としての機能をますます低下させていった。このような中、組合では、何とか商店街を活性化させたいという強い意思のもと、昭和49年に、約430mの通りを歩行者天国にして路上買物市とする「よ市」をスタートさせる。毎年4月から11月の毎週土曜日夕方に開催される「よ市」は、当初手探り状態で実施していたものの、しだいに地元消費者や観光客の心を掴み、盛岡を代表する風物詩となるまでに成長して行った。
 「よ市」効果で来街者を増加した材木町は、昭和54年には高度化資金を活用した共同駐車場を設置。昭和56年に策定した「商店街改造事業計画」を基に、建設省・県・市に熱心に働きかけ、城下町の風情と歴史伝統を活かした和風感のある町並みを実現し、御影石の歩道に宮沢賢治の世界をテーマにしたオブジェを配した「いーはと〜ぶアベニュー・材木町」として生まれ変わった。
 商店街の再生のきっかけとなった「よ市」は、現在、組合員をはじめ、市内の野菜や生鮮食品の産直店などを中心に、およそ100店もの出店者が軒を連ね、毎年、盛岡市の内外から約20万人の人々が訪れ賑わいを見せている。また、今年で32年目を迎えるこの「よ市」であるが、一つの商店街が自分達の企画をこれだけ長期間実施している例は全国でも珍しく、抜群の販売促進と宣伝効果をあげているこの市(いち)には、毎年多数の商店街関係者が視察に訪れる。
 材木町「よ市」のポリシーは、風が吹こうが雨が降ろうが、必ず定刻には開催するということ。それは、かつて、市内の主要道路から外れ、大型店を核とした周辺商店街から取り残されたという逆境をばねに、大型店では実現できない庶民感覚での対話や交流を自分達の最大の魅力として、大切に守り続けているという意志の現われなのかもしれない。

バックナンバー トップへ戻る


コラボ・みちのく中央会
〒010-0923 秋田市旭北錦町1-47
Tel:018-863-8701 Fax:018-865-1009
post@chuokai-akita.or.jp