季節を彩る盛岡名物「よ市」を中心に、地元の人々や数多くの観光客を集める「材木町商店街」。新聞・テレビなどのマスコミや組合の活性化事例として採り上げられることが多い、盛岡を代表する商店街のひとつである。この商店街の歴史は古く、そのルーツは南部藩時代にまで遡る。南部氏による盛岡築城が開始された文禄元年(1542年)頃から、木場の材木商を中心とする商人町が形成され、北方の農村を相手とする商業地区として活況を呈し、豪商が軒を連ねるようになった。明治後期から大正期にかけて、郊外に工兵隊と騎兵旅団が設置されると、さらに商業地区としての繁栄を深め、市内有数の北大通り商店街として発展した。 それまで隆盛を極めていた北大通り商店街ではあるが、戦後になって、繁華街に隣接し、大型店の出店する「大通り」や「肴町」に新しく商店街が形成されると、その地位はしだいに低下していくこととなった。また、歩道も無く狭い道路であったことが、交通環境の変化と車社会の急速な進展への対応を遅らせ、商店街としての地盤沈下を招いた一因でもあった。 そのような状況下、昭和41年に、それまで共同売出しで連合していた材木町商栄会と茅町振興会が、合同して現在の「盛岡市材木町商店街振興組合」を設立、盛岡市で第1号の振興組合として、商店街の再開発と活性化に向けての狼煙を上げた。
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